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2014年3月17日 (月)

2014年2月に読んだ本

2月に読んだ本を列記します.

今月は部屋の整理をしていて奥の方から出てきた本を読みました.

色々面白そうな本もありましたが,忙しく余り読み進めませんでした.

2月(ニャンコ月間)なのに猫本を読まなかったことをチョッピリ反省です.

 

○ 日本全国ゆるゆる神社の旅 (Sanctuary books) 鈴木さちこ著 190p.サンクチュアリ出版

 神社の旅絵日記みたいな本.ルートやコース,お得な電車切符(著者は鉄道好き),神社周辺の食べ物情報が意外に豊富.ガイドとしても参考になります.幾つか行ったことのある神社も出ていましたが記述は正確だし,ここも行けば良かったと思う付近の神社とか食べ物とかも載っていました.那智大社近くで売っているらしい那智黒石の猫が欲しくなりました.登山で登った際,宿坊が沢山あった東京の御嶽山神社,今度は宿坊に泊まりに行くのも面白そうです.

 神社に行くと凜とした清冽な雰囲気を感じることがあります.筆者によれば神社により感じる雰囲気が違うとのこと.これから気をつけて感じてみたいと思います.神様の使い等でウサギがモチーフのコマウサギとか彫り物だとかが結構神社にあることを知りました.ウサギとカメならぬ,神様とウサギ.どうしてなのかな?

 

○ 藤原氏の正体―名門一族の知られざる闇  関裕二著 285p.東京書籍

 1月に関氏の本を2冊読みました.何となく惰性でもう一冊読みました.乙巳の変・大化の改新をした中臣鎌足から続く,古代の英雄,名門貴族といった藤原氏のイメージを根底から覆す内容.これでもか,これでもかと藤原氏にいちゃもんを付けていて,藤原氏から文句が出なかったのか?と思ってしまう内容です.実際のところはどうか判りませんが,日本書紀で過去の歴史を都合のよいように作り替え,律令制度を整備し古来からある合議制を排除し朝堂を独占していったと切切と訴えた内容です.中臣鎌足が百済の王(子),豊璋であるという主張や,五〜六世紀の東アジアは寒冷期で高句麗が南下するなど人の動きも大きく,西日本にかまどが出現した時期である等の記述(p.136)等は興味をひかれました.

 

○ ビジュアル版 逆説の日本史1 古代編 上 井沢元彦著 79p.小学館

 以前読んだ逆説の日本史〈1〉古代黎明編―封印された「倭」の謎 (小学館文庫)」のビジュアル版だそうで写真や図が多く気楽に読めます.魏志倭人伝(本書でも「三国志 魏書 東夷伝」の中の倭人について記した場所とされるが,正確に言えば「三国志 魏書 烏丸鮮卑東夷伝」の倭人条)に基づく黥面(顔の入れ墨)が国内で出土した人面土器を元に復元された当時の人の絵が描かれていますが何となくアナグマっぽくて面白かったり,卑弥呼が下賜された銅鏡の話題では古墳から出土した幾つかの銅鏡の写真を見ることが出来たり,伊都国に比定される地域の平原遺跡から出土した内行花文鏡が発掘史上最大とされ紹介されていますが,これは周囲が八咫鏡とおなじ当時の八咫の長さになるという有名な鏡ですが,さりげなく写真が見られて感動したりで,ビジュアルならではの発見があり買って良かった感がありました.また,数枚ですが諸星大二郎氏の画がさり気なく載せられていたり,森浩一先生と著者井沢氏の対談があったり,巻末に関連する現地を訪ねるたびガイドがあるのも興味深かったです.

 たまたま本を読みながら録画していたNHK日曜日美術館「土偶 命の息吹から生まれたアート」を見ていました.番組の中で出てきた縄文時代の土偶と,p.40に写真のある吉備の弥生墳丘墓楯築遺跡でご神体として伝えられてきたという弧帯文石とがデザインに共通性があるように思えました.これらはまた,以前紹介した本精霊の王」の表紙や口絵に出てくる顔面把手付深鉢に通ずるモチーフがあるように見え,吉備のご神体は縄文に続く何かがるように感じました.

 

○ ビジュアル版 逆説の日本史2 古代編 下 井沢元彦著 127p.小学館

 前冊の続き.聖徳太子が実在したか,万葉集や古今和歌集などの話題が面白かったです.文庫版では読んでいない部分のようなので,「2014年1月に読んだ本」で紹介した関裕二氏の「聖徳太子は蘇我入鹿である (ワニ文庫)」や「聖徳太子の秘密 「聖者伝説」に隠された実像に迫る (PHP文庫)」と読み比べてみたいと思います.万葉集や古今和歌集を文庫版で井沢氏がどのように論じているのかも興味深いところです.

 

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コメント

むらかみからむさん,こんにちは.
お訪ね頂きありがとうございます.
残念ながら特に古代史を専門に研究しているわけ
ではありません.
当時の文献や金石文のオリジナルを解読することも
査読を受けた学会誌の学術論文等を読むことも
ありません.
時折,本屋で見かけた本を流し読みする程度です.
限られた情報量ですが,日本の古代の真実の姿を
追求する世界は,どうも1分野の研究や考察結果
から議論がされる傾向があるように思えます.
個々の分野の情報は限られると思います.
色々な分野の専門家が集まって議論を進めるべき
ように感じます.
以上,コメントと言うより感想まで.

投稿: sugeneko | 2014年3月18日 (火) 09時24分

Sivaさん,おひさしぶりです happy01

記憶をたぐってみると,どうやら逆説シリーズは
文庫1冊,ビジュアル2冊しか読んだことがない
模様 coldsweats01
なのでビジュアル版が何処までオススメできるか
どうか判りません.
スミマセン sweat01

とはいえ,3冊しか読んでいませんが,中々面白
いですね book
次は文庫本の2冊目を買ってみたいと思います shine

投稿: sugeneko | 2014年3月18日 (火) 09時09分

【古代史は石渡信一郎から始まる】
と信じています。ぜひ 以下の文 感想聞かせてください。。

『大和民族大移動』
*日本書紀編集者の良心の呵責を見抜いた石渡信一郎と林順治*

失礼無礼きわまりない話ですが、あなたが家系図を作成するとして、
実は、あなたのおじいさんが泥棒だったら、あなたはどうしますか?
昭和18年に隣の酒屋から酒5升盗んだ人だと正直に書けないですね。
でも、良心の呵責から、なんとかして泥棒行為を書き残したいですよね。
簡単です。じいさんに弟があり その架空人物が、盗んだ事にしましょう。
おっと、じいさんの弟はお墓が無くばれますね。では干支60年古くして
明治16年に、ひいひいひいじいさんの妹の夫が盗んだ事にしましょう。 

書紀は天皇様の見事な万世一系の家系図を書いた推理小説です。
太古から日本を統治していた事としたい。でも本当の事も書きたかった。
そのため、架空人物を多数創造した。時代も原則60年単位で古くした。
これが、真実を残すために書紀が取らざるを得なかった編集方針です。
もちろん、真実そのままの事も、どうしても書けない真実もありました。

では、架空実在人物が新旧入り混じった小説からの真実の救出法は?
 ①実在したご先祖のお墓や使用物の年代を正しく求めましょう。
 ②貴重な金石文を正確に読みましょう。
 ③地名や人名の語源を冷静に考えましょう。
この3つを追求整理したあとで 初めて日本書紀を読むべきですね。

石渡信一郎は、まず先に、上記①②③を 徹底的に、探究しました。 
①古墳や須恵器・土師器・埴輪の絶対年を正しく定めました。
 (過去の気象や磁気の変化を考古学の原則で追及した後に)
 例えば、弥生後期(5期)は260年頃から350年頃までとしている事
  及び 稲荷山古墳550年頃 で、鉄剣の辛亥年=531年
②七支刀・隅田八幡鏡・武寧王陵碑・稲荷山鉄剣を正確に解読した。
 (すみません。解読結果詳細は石渡氏と林氏の本を読んで下さい。)
③地名人名の語源を音韻変化の基本原則にのっとり追求しました。
 韓(カラ)⇒加夜(かや)・軽(かる)・茶屋(けや)・秦(はた)
大韓(カカラ)⇒大軽(おおかる)・各羅(かから)
南韓(ナムカラ)⇒難波(なには)・長柄(ながら)・中(なか)
東韓(スカラ) ⇒菅谷・早良(さわら)・日十(そか)・蘇我(そが)
大東韓(カスカラ)⇒飛鳥・春日・足柄・橿原・八幡(はちはた)
大東韓(キスカラ)⇒一須賀・石川・鬼前(きせ)・去来紗(いざさ)
大東韓(クスカラ)⇒樟葉・太秦・宇治(うじ)・太(ふつ)
昆支(コンキ)  ⇒誉田(ほむた)
  
今では信者のむらかみからむですが、石渡論の理解に半年以上です。
通説の古墳年代の根拠を知らず、通説年代は当たり前の事でした。
即ち、誉田山も大仙古墳も5世紀初頭と 無意識に思っていました。
さらに、百済皇子余昆が書紀では昆支だという事を忘却してました。

その昆支が倭の5王の武で、誉田山古墳に眠る応神でもある。
その弟が継体であり仁徳でもあり仁徳から武列までは架空である。
獲加多支鹵は欽明であり継体の子ではなく昆支の子である。
その息子がアメノタリシヒコで用明で蘇我馬子で聖徳太子でもある。
とくれば、なんでもありの飛んでも説をよくもここまでまじめに書くなあ。
石渡信一郎も林順治も トンデル人だ。と思ってしまいますよね。

しかし、音韻変化の原則から『飛鳥の語源は大東韓(かすから)だ』
の説明を熱心に 語っている文章の迫力には心を打たれました。
で、稲荷山鉄剣の辛亥年=531年で古代史を語る人は誰もいない。
の文章を読んだ時、この理論が他説を圧倒する事に気づきました。
通説の古墳年代を無意識に受け入れていた私がトンでいたのです。

なんと、小6の私の息子の社会の参考書にも書いてありましたが、
通説は稲荷山鉄剣の獲加多支鹵大王を書紀の中の雄略大王として
辛亥年=471年としてた。これを絶対基準に古墳年代を決めていた。
ワカタケルは大泊瀬幼武じゃない可能性の追求が甘いままでした。
おかしな話ですよね。書紀の記述が真実かどうか検討しているのに
書紀の記述の大泊瀬幼武の実在は真実からスタートしていたなんて。

結果的に、通説での全古墳の絶対年は60年以上古すぎたのです。
4世紀前半は弥生時代で、古墳時代はAD350年からなのです。
これは寒かった弥生後期5期が260年~340年頃でも裏付けれます。
『通説の古墳年代を 60年以上新しくして古代史を見直すべき』
との提案が石渡説の基本で他説との相違点で最重要ポイントです。
これが理解できないと石渡論はトンでる空想物語になります。

では、531年の根拠は?『完本聖徳太子はいなかった760円』より
①草冠ぬきの獲の字は 中国でも6世紀に初めて使用した。
②発掘関係隊長の斎藤忠も副葬品(銅わん等)から 531年説。
③稲荷山古墳と同年代の野々上窯の熱残留磁気測定結果。
④少し新しい江田船山古墳履が武寧王の墓の履と文様が似る。

石渡論は辛亥年=531年で須恵器や土師器や埴輪の年代を求めます。
典型例は『須恵器大成(田辺昭三)』を60年新しくしている事です。
で、全国の主要古墳年代を通説より基本的に60年新しく求めます。
さらに古鏡&刀の金石文と中国の文献で実存した人物の中から
その生存&死亡時期と照らし、各々の古墳披葬者を選び出します。
これで書紀に全く頼っていない石渡論の基本年表が完成します。

古墳------年代----被葬者
①箸墓-----385年頃-倭王旨(七支刀)   
②渋谷向山古墳-410年頃
③行燈山古墳--430年頃-倭王讃(宋書)
④五社神古墳--440年頃-倭国王珍(宋書)
⑤中ツ山古墳--450年頃-倭国王済(宋書)
⑥石津山古墳--475年頃-倭国王興(宋書)
⑦誉田山古墳--510年頃-倭王武・余昆(宋書)・日十(隅田鏡)
⑧大仙古墳---520年頃-男弟王(隅田鏡)
⑨見瀬丸山古墳-570年頃-獲加多支鹵(稲荷山鉄剣)
⑩太子西山古墳-585年頃
⑪石舞台古墳--620年頃-阿毎多利思比孤(隋書)
⑫天武陵(旧)-645年頃-ワカミタフリ(隋書)
⑬持統陵(旧)-645年頃

で、ここから初めてこの年表を書紀の記述と照らして検証していきます。
このとき、先述の音韻変化の原則から求めていた語源が役に立ちます。
コンキ⇒ホムタ や スカラ⇒ソガ や ウズ⇒フツは典型例でしょう。
こうして以下の本当の大王様の家系図の一覧表が探し出せました。

古墳---被葬年-本名-書紀の中の名前【家系図】
①箸墓---393-旨-ミマキイリヒコ【初代】
②渋谷向山-409-?-イクメイリヒコ【①の子】
③行燈山--438-讃-イニシキイリイコ【②の子】
④五社神--442-珍-ワカキニイリヒコ&ワカタラシヒコ【③の弟】
⑤中ツ山--462-済-ホムタノマワカ&尾張連草香【③の孫】
⑥石津山--477-興-カワマタナカツヒコ&凡連【⑤の子】
⑦誉田山--507-武・日十・余昆-昆支&ホムタワケ【⑤の子の婿】
⑧大仙---531-男弟-ヲホト&オホサザキ【⑤の子の婿。⑦の弟】
⑨見瀬丸山-571-ワカタケル-アメクニオシヒラキヒロニワ&蘇我稲目【⑦の子】
⑩太子西山-585-?-ヌナクラノフトタマシキ【⑨の子】
⑪石舞台--622-アメノタリシホコ-タチバナノトヨヒ&聖徳&馬子【⑨の子】
⑫旧天武陵-645-ワカミタリフ-善徳&蘇我蝦夷【⑪の子】
⑬旧持統陵-645-?-蘇我入鹿【⑫の子】

大和民族は『うるわしの土地』を求め大陸から大量に移動してきました。
まずは西暦330年頃から半島南部を、460年頃からは百済を通って。
1回目の代表は旨(崇神)、2回目は武(応神)&男弟(継体)です。
で、各々の起因は1回目が楽浪郡の崩壊、2回目は高句麗の南下です。
書紀の隠したこの事実は、現代日本人には小説(書紀)よりも奇です。
というより、受け入れがたく、石渡論を無礼者と思いますよね。

しかし、考えようによっては当たり前だったのではないでしょうか?
大陸は寒かった。温暖な飢えない日本列島は『うるわしの土地』だった。
新羅を置き去り、自ら大和民族大移動し、海を渡り来ていたのですよね。
さあもう21世紀です。石渡論が世に出て4半世紀も経ってしまった。
ぼちぼち古墳を60年新しくして、真実を考え、受け入れませんか?。

隣家の酒樽から酒5升分のお金が入ったじいさんの名前の財布が
見つかった。稲荷山古墳の鉄剣・隅田八幡鏡・七支刀のことですよ。
じいさんはお酒を飲んでお酒を買いに行き転んだ。よかった。無実です。
ひいひいひいじいさんに妹夫妻はいなかった。雄略大王もいなかった。

まだまだまだまだ書きたいことありますが 最後にまとめを書きます。

石渡論は古墳年代を正しく求めスタートします。そのあとで書紀です。
ところが 不幸な通説は架空雄略大王の実在からスタートし迷走中。

石渡信一郎が真にすばらしいのは 日本書紀編集者たちが持つ
・ひとりの実在人物をふたり・さんにん・・と分けざえるを得ない苦悩。
・架空大王をひとりふたり・・30人31人と創造せざるを得ない苦悩。
・時代を60年120年180年240年・・神話へと古くせざえるを得ない苦悩。
すなわち、『真実が書きたい』と言う叫びを痛切に理解している事です。

見事な万世一系の筋書とは異なる飛んでた真実があるのだから
書紀は真実を書けば書くほどでたらめになる自己矛盾を持つ。
書紀は でたらめではない。でたらめにならざるを得なかった。
石渡説がトンでるのではない。飛ばされた真実を探しているのです。
『飛ばして申し訳ないという良心の呵責を持った家系図』も眠るはず。
これを見抜き信じるから、真実が救い出せるのです。すばらしいです。

私は近日、以上を前書きに『大和民族大移動』という本を買きます。
石渡信一郎を東大か京大の古代史教授に推挙するために。。で、
副題は『書紀編集者の良心の呵責を見抜いた石渡信一郎と林順治』


で、聖徳太子と蘇我馬子と用明大王 そして アメノタリシホコは
すべて たった一人の人物です。その人を分けて書いているのです。

とにかく皆さん 両先生の本 読んで古代史考えましょう。で、早いのは、
『古代史の謎を探る』か『倭韓交差』か『むらかみからむ』でネット検索。

投稿: むらかみからむ」 | 2014年3月17日 (月) 22時16分

逆説の日本史シリーズは好きで読んでいますが、
ビジュアル版はまだですね~
気になるかも???

投稿: Siva | 2014年3月17日 (月) 20時32分

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